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神戸地方裁判所明石支部 昭和46年(ワ)57号 判決 1975年3月10日

原告

前田繁穂

被告

明石建設株式会社

主文

一  被告は、原告に、金七、〇七八、五〇〇円、およびこれに対する、内金六、六二八、五〇〇円については昭和四六年八月一〇日から起算し、残余の四五〇、〇〇〇円については昭和五〇年三月一一日から起算した、支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用中訴の申立手数料については、うち三六、七〇〇円を被告の負担とし、その余はそのまま原告の負担とし、その他の訴訟費用についてはこれを二分し、その一を原告、その余を被告の各負担とする。

四  この判決中第一項は、掲記の各金額の二分の一を限度として仮に執行することができる。

事実

(原告が求めた裁判)

被告は原告に、金四〇、一一八、八二〇円、およびこれに対する、内金三八、一一八、八二〇円については昭和四六年八月一〇日から、残余の二、〇〇〇、〇〇〇円については判決言渡の日の翌日から、支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決と仮執行の宣言

(請求原因その他原告の主張等)

一  (交通事故の発生)

原告(当時三六歳)は、次の交通事故で身体傷害を受けた。

(一)  日時 昭和四二年一〇月八日午後四時一五分ごろ

(二)  場所 神戸市垂水区玉津町吉田二〇一の一地先神明道路上

(三)  加害者 小型ダンプカー(神戸四り〇七五八号)

保有者 被告

運転者 柴田明

(四)  事故発生の態様

柴田明が運転し原告が助手席に同乗していた右自動車が、東進中運転の誤りから対向車道のガードレールに激突し、そのまま三回転して下の田に転落した。

二  (受傷内容と入通院別治療期間および後遺症)

(一)  原告は右事故時の衝撃で、右大腿骨二幹部骨折、第一腰椎圧迫骨折、頸椎捻挫、頭部挫傷、左大腿部挫創、右肘部打撲兼挫創、胸部挫傷等の傷害を受けた。

(二)  治療のための入通院は次のとおりである。

イ 四二年一〇月八日~四四年二月八日(四八八日間)

明石市内の井元外科医院に入院

ロ 四四年二月一〇日~四四年一一月一七日(二八〇日間)

神戸市生田区の金沢三宮病院入院

ハ 四五年一月二〇日~四五年五月一一日(一一二日間)

再度右金沢三宮病院入院

ニ 四五年五月一二日~四五年六月一五日

右金沢三宮病院に通院(実日数一二日)

ホ 四五年七月一四日~四七年一〇月一九日

神戸市垂水区の関西青少年サナトリウムに入院

ヘ 右退院後現在まで引続き右関西青少年サナトリウムに通院中(この間、四八年三月一五日から四八年六月二二日までの間の再入院あり)

(三)  原告に存する後遺症は次のとおりである。

イ 右下肢に関しては、自賠法施行令別表第九級該当

1 下肢長の短縮

転踝長右八六・五センチメートル、左八七・五センチメートル

棘踝長右七九センチメートル、左八〇センチメートル

2 右膝関節機能障害

屈曲右一四〇度、左三五度

伸展右一八〇度、左一八〇度

ロ 精神、神経的機能に関しては同別表第七級該当

1 前頭葉変化にもとづく性格変化

2 自律神経失調症状

3 心因的要素のきわめて強い陰萎

三  (被告の責任)

被告は前記加害自動車の保有者であり、事故当時これを自己のため運行の用に供していたから、自賠法三条により、原告の身体傷害によつて生じた損害を賠償する義務がある。

四  (損害)

原告が本件事故で受けた身体傷害により蒙つた損害は以下のとおりである。

(一)  入通院中の治療費 計上しない

その大部分は被告が支払つているはずである。

(二)  入院中の附添費用 二七一、五〇〇円

内訳

イ 井元外科分 計上しない

入院全期間原告の妻が附添つたが、そのうち一八〇日間分として二一六、〇〇〇円を受領しているので、その余の分も計上しない。

ロ 金沢三宮病院分 二一一、五〇〇円

前後二回の入院中五九日間は家政婦が附添い、その余は原告の妻が附添つた。第一回目の入院中四四年二月一一日から七月一五日までの一五〇日間附添を必要とした。第二回目の抜釘のための入院については一一二日間中の約半分すなわち五〇日間の附添を要したものと考える。右合計二〇〇日の必要期間中五九日間の家政婦代は被告が支払つた。よつて残りの一四一日につき一日一、五〇〇円の割合で計算すると二一一、五〇〇円になる。

ハ 関西青少年サナトリウム分 六〇、〇〇〇円

原則として附添を要しないが、入院当日から四七年八月一八日までの三六日間は原告の妻が附添つている。一方、ルンバルの治療を受けると一〇日間ほどは動けない。これが四回あつたから、四〇日分として一日一、五〇〇円の割合で計算する。

(三)  入院中の雑費 三六九、〇〇〇円

四六年六月末日までの全入院期間計一、二三〇日につき一日三〇〇円の割合で計算する。

(四)  通院費用 六、〇〇〇円

金沢三宮病院に実日数にして一二日間通院したが、いずれも原告の妻に附添われている。明石から同病院までの交通費は電車賃、バス賃を合わせて往復二人分一日五〇〇円である。

(五)  休業補償 一八、三八一、七二〇円

原告は大工請負業をしていた。これによる事故前三月間の収益は次のとおりである。

四二年七月分

収入 三一七、五〇〇円

支出(経費) 一三〇、〇〇〇円

差引純収入 一八七、五〇〇円

四二年八月分

収入 五七七、五〇〇円

支出(経費) 四一四、五〇〇円

差引純収入 一六三、〇〇〇円

四二年九月分

収入 六四七、〇〇〇円

支出(経費) 三四一、〇〇〇円

差引純収入 三〇六、〇〇〇円

平均一月当り純収入 二一八、八三〇円

原告は事故後少なくなくとも七年間(八四月間)は完全休業を余儀なくされた。

よつて右二一八、八三〇円に八四を乗じる。

(六)  労働能力減退にもとづく逸失利益 一八、八四〇、七三七円

原告は足と神経に顕著な後遺症を残すが、この神経の方は仮に後日症状が減退するとしても、足の方は、もはや如何ともなしがたい後遺症として残る。そして従前の労働(大工)ができないことは明らかであるし、また同等の労力を使う他の仕事につくことのできないことも明らかである。これによる逸失利益を求めるに、障害等級は第七級と第九級であり、この高い方をとるのが通常であるが、被告の出費を考慮してその中間の第八級をとることとし、この第八級の労働能力喪失率四五パーセントを用いることとする。一方四二歳の男子の就労可能期間は二五年である。

そこで、前記平均月収額二一八、八三〇円の四五パーセントを一二倍したものに二五年間のホフマン係数一五・九四四を乗じると一八、八四〇、七三七円になる。

(七)  慰藉料 五、〇〇〇、〇〇〇円

治療のための入通院期間、後遺症の内容、被告の態度等諸般の事情を考慮すると、原告の受けた精神的苦痛に対する慰藉料額は右金額を下廻るものではない。

(八)  弁護士費用 二、二〇〇、〇〇〇円

内訳

着手金 二〇〇、〇〇〇円

謝金 二、〇〇〇、〇〇〇円

以上合計金四五、〇六八、九五七円也

五  (相殺額)

(一)  被告からの既受領額 三、八〇五、一三七円

(二)  原告の未払家賃 一、一四五、〇〇〇円

原告は被告経営のアパート(明建ビル一〇二号室)に入居しているが、昭和四二年一一月一日以降の家賃を払つていない。それは本件損害賠償金と相殺するつもりであるからである。この未払家賃の額は、四二年一一月一日から四五年五月末日までの間(三二ケ月)は一年一〇、〇〇〇円で三二〇、〇〇〇円、四五年六月一日から四九年一二月末日までの間(五五ケ月)は一月一五、〇〇〇円で八二五、〇〇〇円であり、その合計は一、一四五、〇〇〇円である。

合計金四、九五〇、一三七円也

六  よつて原告は被告に対し、本件交通事故で身体傷害を受けたことによる損害賠償金として、四の損害額合計と五の相殺額合計との差額である四〇、一一八、八二〇円、およびこれが遅延損害金として、弁護士費用中謝金相当額二、〇〇〇、〇〇〇円を除いた三八、一一八、八二〇円については訴状

送達の日の翌日たる昭和四六年八月一〇日から、右二、〇〇〇、〇〇〇円については第一審判決言渡の日の翌日から、支払ずみまで年五分の割合による金員の支払を求める。

七  (事故当時の運行の状況について)

被告が第二項で主張するような事情は否認する。

原告は大工で被告の下請業者であり、自分一人の外に弟子と称する若い衆を使つていた。当時被告には専門の運転手はおらず、従業員で運転のできるものに誰彼となく被告保有の車を運転させていた。当日原告は仕事が早く終り、被告から賃借している明建ビルアパート内の自宅で原告の妻、右若い衆らと少し早かつたが一杯飲みながら夕食をとろうとしていた。そこへ被告の従業員である柴田明がやつて来て、当時そのうちの大工仕事を原告が下請けしていた明舞新聞店舗新築工事の施行に関し、「被告のあすの仕事の段取り上仕事場へ行つてタイル工事に関する多少の大工仕事をしてくれないか」と原告に頼んだ。原告としては元請からの依頼であるから断わるわけにはいかず、夕食もそこそこに右柴田運転の本件加害車に同乗して現場に赴く途中本件事故に遭遇したのである。

したがつて被告は本件事故で原告が受けた身体傷害につき全面的に運行供用者としての責任を負わなければならない。

八  (事故発生の原因について)

原告が同乗していた本件加害車には長さ四メートルもある木材を積んでいたが、柴田は、これをロープでしばることもせずに長さ約二メートルの荷台に載せたまま運転していた。そのうち交差点を右折したさい、右木材のうち荷台からはみ出した部分が惰力でボデイー側面の線よりも大きく外側に振り出された。柴田は、この不正常な状態をハンドルを急に左右に転把することによつて正常な位置に戻そうと企て、二度、三度急転把をしてジグザグ走行を継続中、ついに運転を誤り本件事故を招来させた。

猫が飛び出したり、柴田がこれを避けようとしたり、そのために運転を誤つたというような事実はなかつた。

なお、事故発生の原因に関し原告にも過失があつた旨の被告主張は争う。

九  (原告の再骨折および後遺症等について)

原告が治療継続中の昭和四四年二月上旬ごろ患部を再骨折したことは被告主張のとおりである。しかし、そのころまで治療が長引いたり再骨折したりしたのもすべて井元外科医院における医師の治療行為の失敗によるものである。原告が井元外科医院入院中に妻以外の某女性と知り合い、四三年九月ごろから右再骨折のころまでの間同女のアパートに何回か通つたりしたことはあつたが、別にこれによつて原告の療養態度が悪かつたことにはならず、他に原告がその責に帰すべき事由で治療を長引かせた事実はない。右再骨折はふつうの療養生活の中で起こるべくして起きたものであり、それも井元外科医院の施術では骨が完全に継げておらず、前に折れていたところが再びばらばらになつたもの(病的骨折)に過ぎない。

したがつて、再骨折後の治療もすべて本件事故で受けた傷害そのものの治療であつて、これにともなう損害については被告に全面的に責任がある。

また、原告が本件事故で受けた頸椎捻挫の傷害については、足の骨折が重かつただけに、当初の治療段階でこれに対する手当が軽視されたうらみがある。そのようなこともあつてそれによる症状は長引きかつ重いものになつて表われた。以上に述べたようないろいろの症状の長期化や治療の長期化等のため、原告は金沢三宮病院への二回目の入院のころから陰萎をもたらすに至つた。その後関西青少年サナトリウムに入通院して治療を受けているが、そこで治療の対象とされた精神、神経系統の諸症状はすべて本件交通事故にこそ起因するものにほかならない。

以上要するに、治療が長期化したことについては原告に責めるべき事由はなく、再骨折後の症状、治療による損害はすべて被告が負担すべきであつて、この点に関する被告の過失相殺の主張も失当である。

十  被告が第六項の(一)ないし(三)で主張する事実は全部認める。(五)および(六)は争う。

(被告が求めた裁判)

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との判決

(答弁その他被告の主張等)

一  原告主張第一項の事実は(四)を除き認める。(四)については、柴田明が運転し、原告が同乗していたときの事故であることは認めるが、その余の詳細は知らない。同第二項については、原告がなんらかの傷害を受け、その治療のためある程度の入院等を必要としたことは認めるが、その余は争う。同第三項につき、被告が原告主張の加害自動車の保有者であつたことは認めるが、被告に運行供用者責任のあることは争う。同第四項の損害額もすべて争う。

二  (事故当時の運行の状況に関して)

事故当日、はじめ柴田明が明舞新聞店舗新築工事現場にいたとき、原告がそこへやつて来て、「あすの仕事の段取があるから戸渡しの額縁材をきよう中に運んでくれ」と柴田に依頼した。そのあとで柴田が被告会社に帰つて来たところ、原告は明建ビル地下の加工場で右材料の加工を終つたところで、柴田が「自分はダンプカーの運転を禁じられている」と言うのにもかかわらず、「それではあすの仕事にさしつかえるぞ」と言つて自分で右材料をダンプカーに積んでしまつた。かくして柴田はやむを得ず原告を同乗させて右ダンプカーを運転し、その運転中本件事故に至つたものであるが、同人はもともと被告に自動車運転手として雇われていたものではなく、技術員として被告に勤務していたものであり、被告がこの柴田に右ダンプカーの運転を禁止し、しかも同人が原告にその旨を告げて運転を断わつているのにもかかわらず、原告は、自己の所用のためあえて同人に同車の運転と自己の同乗を要請し、ついに同人をして禁を犯しての同車の運転に至らしめた。

右の次第であるから、被告は本件事故で原告が身体傷害を受けたことにつき自賠法三条が定める運行供用者としての責任を負わない。仮に責任があるとしても、右の事情からすれば、被告において賠償すべき額の算定にあたり相当の過失相殺を運用すべきである。

三  (事故発生の原因に関して)

原告が事故発生の原因として主張する第八項の事情は否認する。被告としては、道路端から急に猫が飛出し、とつさにこれを避けようとした柴田が運転を誤り事故に至つたというのが正しいと考える。しかし、仮に原告主張のとおりであつたとすれば、その主張のようなハンドルの左右転把によるジグザグ運転を柴田にすすめたのは、ほかならない原告自身であることが証拠上明らかであるから、事故の発生については原告自らにも多大の責任があることになる。したがつて前同様相当の過失相殺が適用されるべきである。

四  (原告の再骨折その他に関して)

原告は当初の井元病院入院中から傷病の治療に専念することなく、患者として不謹慎な態度を取り続けた。たとえば、本来の内妻がありながら、入院中に知り合つた他の女性と親しくなり、入院中でありながら四三年九月ごろから同女と肉体関係を持ち、そのころから同女のために住宅を調達し与えてしばしば外泊をくり返すといつた状態であつた(同女との関係は四四年春ごろまで続いている)。もつとも井元病院における治療経過は良好で、四三年一二月末までには治療するであろうと見込まれていたのに、原告のかかる不謹慎な療養態度のため、化骨形成がおくれるなどして経過が長引いていたところ、井元病院退院後の四四年二月上旬ごろ、原告は自らの過失で転倒し再骨折をした。

したがつて、四四年二月一〇日以後における金沢病院での治療(再骨折によるもの)による損害は、原告が自ら招いたものであつて、本件事故とは因果関係がない。

また仮に原告になんらかの後遺症状があるとしても、右下肢に関するものおよび精神、神経系統のものを含め、かつ後者については関西青少年サナトリウム入院当初からのものを含め、それらはすべて、原告が療養に専念せずかつ再骨折するなど、自らの責任で治療を長引かせたことに起因するものであり、もつぱら原告の責に帰すべき事由によるものであるから、本件事故とはなんの因果関係もない。

その後遺症状の内容も、右下肢に関するものはすでに相当程度症状が改善しているばかりでなく、精神、神経の系統に属するものも、そのほとんどが心因的なものであるなど、せいぜい自賠法施行令別表第一四級に該当する程度のものに過ぎない。このことは、事故当時において原告に意識の障害がなく、その後四九年九月ごろ、原告は短期間の学習で自動車運転免許を取得するに至つている(しかもその免許には条件がついていない)ことからしても明らかである。

なお、仮に前記再骨折以後の損害と本件事故との間に因果関係があるとされ、また本件事故と困果関係のある後遺障害があるとされた場合においても、原告はその責任において損害を増大させたというべきであるから、これまた前同様十分な過失相殺が適用されなければならない。

五  (原告主張の損害について)

入院中医師が必要と認めた附添費はすべて被告から支払ずみであるから、原告にはその主張するごとき附添費の損害はない。

原告はもともと大工であり、日下という親方のもとで働いていたが、その日下が負傷したので、同人に代り一時的に手間の請負いをするようになつたものであつて、それも事故直前の四二年六月からのことである。しかもそれ以後の月別報酬受領額は変動が大きく、一方配下の大工等への支払額には計上もれが考えられるし、他になんらの経費控除もなされていないのであるから、原告主張のような方法で原告の収益額を算出することは許されない(手間の請負による利益は請負額の一割程度にとどまるのが一般の実情である)。したがつて、原告の事故当時の一月当りの収益額は、当時の大工の日当二、五〇〇円に月間の稼働日数二二ないし二三日を乗じる方法で算出するのが妥当である。

六  (被告の出捐等)

被告からはすでに左の出捐等をしている。

(一)  病院への支払

1 四三年六月八日井元外科へ 一二八、三〇〇円

四二年一〇月二二日から四三年六月三〇日までの間の個室料、附添食事代、手術材料代

2 四三年八月九日井元外科へ 九、三〇〇円

四三年七月一日から同月三一日までの間の入院費

3 四三年一〇月七日井元外科へ 一八、三〇〇円

四三年八月一日から九月三〇日までの間の個室料

4 四四年一月一六日井元外科へ 三一、二〇〇円

四三年一〇月一日から一二月三一日までの間の個室料および附添食事代

5 四四年二月一七日金沢三宮病院へ 一一、二〇〇円

四四年二月一〇日から同月二三日までの間の部屋代差額

6 四四年三月五日金沢三宮病院へ 一一、二〇〇円

四四年二月二四日から三月九日までの間の部屋代差額

7 四四年三月一七日金沢三宮病院へ 一七、六〇〇円

四四年三月一〇日から同月三一日までの間の部屋代差額

以上計二二七、一〇〇円

(二)  附添看護者への支払

井元外科医院入院中の分

1 四二年一〇月二八日石井ヨシ子へ 一七、六〇〇円

ある期間の分として

2 四二年一一月一日横山久枝へ 三二〇円

ある日の分として

3 四二年一一月一日浜野テルへ 三九〇円

ある日の分として

4 四三年二月一七日から六月一八日までの間に平山スミ子へ 計二一一、二〇〇円

四三年一月九日から六月一六日までの間の分として

金沢三宮病院入院(第一回)中の分

5 四四年三月一八日藪中やつよへ 二八、六八〇円

四四年二月一一日から三月一二日までの分として

6 四四年四月一一日藪中やつよへ 六、一五〇円

同人の寝具、食事代として

7 四四年四月一八日藪中やつよへ 三二、〇三二円

四四年三月一三日から四月一一日までの間の分として

8 四四年五月一一日藪中やつよへ 四、一〇〇円

同人の寝具、食事代として

9 四四年五月二〇日藪中やつよへ 三二、〇三二円

四四年四月一二日から五月一一日までの間の分として

10 四四年六月一三日藪中やつよへ 四、九〇〇円

同人の寝具、食事代として

11 四四年六月二四日藪中やつよへ 三七、四六六円

四四年五月一二日から六月一三日までの間の分として

12 四四年七月一五日舛田敏子へ 二、七〇〇円

同人の寝具、食事代として

13 四四年七月一六日舛田敏子へ 二三、二四六円

四四年六月一九日から七月一五日までの間の分として

金沢三宮病院入院(第二回)中の分

14 四五年三月某女へ 四、三九二円

金沢三宮病院入院中の四五年三月一〇日から三月一三日までの分として

(三)  入院中の氷代 計二六、〇〇〇円

四三年中および四四年二月一〇日に支払つた分

(四)  原告への支払 三、八〇五、一三七円

原告が第五項の(一)で認める額である。

(五)  原告主張第五項の(二)の家賃額は、四二年一一月一日から四五年五月三一日までの間は月額一四、二〇〇円(内二〇〇円は衛生費)であり、四五年六月一日から四九年一二月末日までの間は月額一五、三〇〇円(内三〇〇円は衛生費)である。以上七年二月間の合計額は一、二八一、七〇〇円になる。また原告は被告に四四年一一月分のガレージ使用料二、〇〇〇円を別に支払わなければならない。

(六)  他に、被告は被告保有のダンプカー(本件加害車)を損壊されて損害を受けている。また原告は事故後数年間にわたつて生活保護による給付を受けている。これらの損害や給付金がどうなるのかについても裁判所の判断を求めたい。

(証拠)〔略〕

理由

一  昭和四二年一〇月八日午後四時一五分ごろ神戸市垂水区玉津町吉田二〇一の一地先神明道路で、原告が同乗していた柴田明運転中の自動車(小型ダンプカー。以下本件事故車という)が交通事故を起し、事故時の衝撃で原告がなんらかの身体傷害を受けたことは当事者間に争いがない。

二  右本件事故車が事故当時被告の保有に属し、かつこれを運転していた柴田が被告の従業員であつたことは当事者間に争いがない。

証拠(略)によれば、

1  被告は建築工事の総合請負業者であり、原告は大工であるが、本件事故当時原告は、被告が兵庫県住宅供給公社から請負つていた明石舞子団地新聞販売店舗新築工事のうち内装木工事一式を被告から下請し、主としてこの仕事に従事していた。

2  右下請契約の内容はいわゆる手間請であつて、造作材材料は被告持ちであり、原告がなすべき仕事は右材料の加工と現場における造作とであつた。

3  右材料加工にさいしては被告会社のビル(当時原告はこのビルの一部を被告から賃借して家族とともに居住していた)の地下にある加工場を利用することが当然のこととして了解されており、また加工した材料を工事現場へ運搬することについては、数量の多いときなどには被告会社に材木を納入する材木屋が運んでくれることもあつたが、その他の場合には、原告には運搬する車両もなければ運転手もおらず、被告の従業員が必要のつど本件事故車等(当時被告にはこれに代るべき小型トラツクの保有がなかつた)に載せて運ぶことが当然のこととして了解されており、げんに日頃からそのようにされていた。

4  材料ばかりでなく、原告や原告方に住込んでいる原告の弟子が原告方と工事現場との間を仕事のため往復することについても、被告の従業員が運転する被告保有の自動車に同乗することが当然のこととして了解されており、げんに日頃からそのようにされていた。

5  柴田明は被告の従業員として工事現場の監督その他の仕事に従事していたが、必要に応じて被告の保有する自動車を自由に運転することができる立場にあり、げんに本件事故時までにも、被告保有のライトバンや本件事故車を必要に応じて自由に運転しており、本件事故車で造作材材料をビル地下の加工場から工事現場まで運搬したり、工事現場へ往復する原告の弟子などを自分の運転する被告保有車に同乗させたりしたことは何回もあつた。

ただ本件事故車(その専属の運転手はおらず、被告の従業員中誰がこの運転を担当するかの定めはなかつた。証人三木敏行は「このように専門の運転手がいないところから、従業員全員に対し本件事故車には乗るなと言うてあつた」と証言しているが、「不必要に乗るな」という限度では理解し得ても、それ以上のものとしては措信し得ない)については、柴田が事故を重ねるところから、本件事故の二、三日前ごろから同人は「大きい車には乗るな」と上司から注意されていた。しかし、直前に原告から直接頼まれた点があつたにせよ、同人はそれまでの慣れに従つて、げんに本件事故車を自由に持出して本件事故時の運転をするに至つている。

6  本件事故当時柴田は、ビル地下の加工場で原告が加工した若干の造作材材料を前記明舞団地新聞販売店舗新築工事現場へ運搬するためこれを本件事故車の荷台に乗せ、かつ、前記下請工事の大工仕事をするため同現場へ行く原告とその弟子一名を運転台に同乗させ、右ビルから右工事現場まで本件事故車を運転して行く途中であつた。

以上のことが認められ、他にこれに反する証拠はない(証人前田澄子、同松山茂展および同柴田明の各証言では、造作材材料を運ぶためにただ原告がついて行つたようにとれないでもないが、原告本人尋問の結果によれば、そうではなく、原告自身現場で大工仕事をするだめ現場へ行く必要のあつたことが明らかである)。

右によつて考えるに、原告が柴田運転の本件事故車に同乗していたことについては、原告が自分自身の大工仕事をするため現場へ赴くためであつたのであるから、たとえ原告主張のとおり現場の工事全般の仕事の段取から急に被告側から要請された点があつたとしても、好意同乗の面のあることは否定することができない(原告が被告の保有車に同乗することが契約の内容にまでなつていたとは言えない。仮に原告が自動車運転免許を持ちかつ自動車を保有していたとしたら、原告は自らその自動車を運転して現場に赴くべきであろう)。しかし、造作材材料の運搬は、たとえ原告が原告自身の仕事としてそれに加工した物の運搬であつても、また、被告主張のように「いつどれを現場まで運んでくれ」との原告の具体的要請に呼応したものであつたとしても、それは本来被告においてなすべき仕事である。

このような細かい区分けをするまでもなく、以上の事情からすれば、他に反証のない以上、本件事故当時本件事故車が道路で運転されていたことについては、その運行利益、運行支配とも被告に属していたとみるのが当然であつて、被告は本件事故当時本件事故車を自己のため運行の用に供していたと断じるに十分である。

したがつて被告は、本件事故で原告がその身体を傷害されたことにつき、これによつて原告が受けた損害を賠償する義務がある。

三  事故発生時の状況について、運転していた柴田明自身は「運転中道路の左脇から猫が飛び出したのでこれを避けるため急にハンドルを右に切つたら右側車輪が浮いてハンドルの自由を失い、そのまま道路右脇下の田に転落した」と証言し(〔証拠略〕によれば、柴田は事故直後の警察の取調のときからすでに同旨の供述をしていたことが認められる)、「荷台の積荷(造作材材料)はすべて荷台内に収まり、はみ出ているものはなかつた」と述べている。

一方、同乗していた証人松山茂展や原告本人は、猫が飛び出した事実を否定し、「荷台には造作材材料がばらばらのままひももかけずに積まれており、そのうち長いものは荷台からうしろにはみ出していたが、運転を続けるうちにその長い材料が斜めに傾き、うしろのはみ出し部分が横の方に突き出る形になつた」としたうえ、「これに気付いた原告がハンドルを切つたら直ると言つた。柴田はこれに呼応して数回ハンドルを左右に切つた」(証人松山)と述べたり、あるいは「原告がこれに気付き、またハンドルで直そうかと言うと、柴田がそないしようと言つて数回ハンドルを左右に切つた」(原告本人)と述べ、「高速運転中にこのようにして数回ハンドルを左右に切るうちついに運転を誤つて道路右脇下の田に転落した」としている。

〔証拠略〕だけからでは、当時荷台に積まれていた材料が全部荷台内に収まりはみ出しているものはなかつたと認め得るには至らず、また〔証拠略〕により、道路状況上当時柴田がわざとハンドルを左右に切るような運転をすることはできなかつたはずであると認めることもできない。一方、原告本人の供述中には細かい点で納得のしにくい部分もあるが、この細かい点での記憶ちがいはあつても不思議でない。要するに、前記対立する二つの供述証拠のうちそのどちらが正しいのかはにわかに断じることができない。

ただしかし、柴田が事故の原因として後者のような供述をしたとしたら、それは自動車運転者としては面目まるつぶれのいかにも破廉恥なことを自ら公表し、事故の結果について自分に重大な責任のあることを自認することになる、ということができるし、一方原告やその弟子であつた松山は、本件紛争の解決上かえつて原告に不利な結果をもたらすことを理解しているはずであるのに、あえて後者のような供述をしているものととることができる。

この点からして、少なくとも本件訴訟においては、前記後者のとおりのいきさつで事故が発生したものと認め、これを前提として紛争の解決をはかるのが相当である。

しかるとき、原告は柴田明運転の自動車に同乗中、同人を教唆して事故発生の原因となつた危険な走行方法をとらせたものであり、しかもその縁由となつた積荷の造作材材料は、運搬すること自体は被告の仕事であつたとはいえ、加工のためいつたん引渡を受けてこれを事実上支配していたのは原告であり、かつ、原告がその具体的運搬を被告の従業員である柴田に直接要請し、自らも手を用いてその主導のもとにこれを荷台に積み込んだ(〔証拠略〕)ことをも考えると、本件事故の発生については被害者である原告自身にも大きな過失があつたといわなければならない。

したがつて被告の賠償額の算定にあたつては相当の過失相殺をしなければならず、その過失相殺の割合は、前記したとおり原告に好意同乗者の面のあることをもある程度斟酌し(ただし斟酌した影響は零に近い)、三〇パーセントとするのが相当である。

四  証拠(略)によれば、本件事故当時運転の自由を失つた本件事故車は高速のまま道路右側外に逸脱し、そこにあつた暗渠のコンクリート塊に激突のうえ回転しながら下方の田に転落し、この間原告は車外に投げ出され、これら事故時の衝撃で原告は後記するとおりの傷害を受けるに至つたことが認められる。

五  証拠(略)によれば、

1  原告は本件事故時の衝撃で、右大腿骨骨幹部骨折、第一腰椎圧迫骨折、挫傷をともなう頭部外傷、頸椎捻挫、左下腿広汎性挫創、左大腿部挫創、右肘部打撲兼挫創、胸部挫傷の傷害を受けた。

2  原告は事故当日(昭和四二年一〇月八日)から明石市内の井元外科医院に入院して右各種受傷に対する診療(右大腿骨骨折に対する観血的骨折合手術を含む)を受け、四三年一二月三一日退院したが、右大腿骨骨折部の治癒経過が思わしくなく、四四年二月八日患部が再骨折した。

3  右再骨折の日に再び井元外科医院に入院し、二日後の四四年二月一〇日神戸市生田区内の金沢三宮病院に転入院し、再骨折部位に対する観血的骨折合手術(骨移植を含む)を再び受けるなどしたうえ、同年一一月一七日いつたん退院し、四五年一月二〇日抜釘等のため再び同病院に入院して診療を受け、同年五月一一日最後の退院をしたが、今度は右手術の経過は良好で、同年六月一五日まで実日数一二回の通院(いずれも原告の妻が附添つた)を経たのち、該傷害については同日をもつて後遺症状が固定して治癒したとの判定を得た。

4  原告はこのように主として右大腿骨骨折に対する診療を受け続けてきたが、井元外科医院入院中から頭部外傷、頸椎捻挫による症状として頭痛、頭重感、上肢しびれ感、めまい、吐気その他の症状を呈し続けており、以上の入通院にさいしてはこれら症状に対する診療も受け続けていた。またこれらの症状に対しては、以上の入通院による診療と併行して、井元外科医院入院中の四三年三月七日から金沢三宮病院最後の退院後の四五年七月一四日までの間実日数一七回にわたつて神戸市垂水区内の関西青少年サナトリウムに通院して診療を受け続け、さらに同日同病院に入院し、頭部外傷後遺症との診断病名のもとに四七年一〇月一九日まで入院加療を続けた。その退院後も症状が思わしく軽快しないということで四八年三月一五日から同年六月一八日までの間再び同病院に入院して加療を受けている。

5  原告は前記傷害による後遺症として次の障害を残すに至つている。

イ  右大腿骨骨折による右下肢の系列に属するもの

右下肢短縮一センチメートル以上

(自賠法施行令別表第一三級八号該当)

右下肢膝関節機能のいちぢるしい障害

同関節の生理的運動領域の二分の一以上にわたる運動制限がある。

(同別表第一〇級一〇号該当)

同系列の内部においてこの両者を併合繰上し、同別表第九級に該当すると取扱うことが可能である。

ロ  頭部外傷、頸椎捻挫、腰椎骨折等による精神、神経の系列に属するもの

自覚症状 頭痛、吐気、項頸部のしびれ感と牽引痛、両肩(特に右)の緊張感と運動痛、右上肢のしびれ感、腰部から右下肢の神経痛様疼痛(とくに寒冷時に強い)

他覚的所見

外部からの観察によるもの

頸部運動制限軽度、頸部傍脊椎筋圧痛、右肩関節運動時疼痛、右肩から右上肢にかけての知覚鈍麻、右握力低下、腰部から右下肢にかけての知覚鈍麻

内部における器質的異常

気脳写により両側前頭葉に軽度の脳溝拡大が認められるほか、レントゲン撮影により、第六頸椎に軽度の楔状化変形、同椎体上下に彎曲の異常、第六、第七頸椎間の骨棘形成、腰椎に変形性脊椎症が認められる。

(前記別表第一二級第一二号該当)

イ  ロの両者を併合繰上して同別表第八級該当として取扱われる(仮にロの等級を第九級としてみても、併合の結果は第八級にとどまる)。

6  右後遺障害のうちイが昭和四五年六月一五日に症状固定していることはすでに述べたとおりであるが、ロについても、おそくとも四六年五月一五日ごろには症状固定しており、すでにその時点で傷害としては治療の段階に達していた。

7  原告は井元外科医院退院後右大腿骨骨折の完全治療に至らず療養生活を続けるうち、前記四四年二月八日、松葉杖を用いて撞球場に遊びに行き、その遊技中、すべつて転んで前記のとおり再骨折に及んだ。この再骨折は病的骨折に該当し、前の手術で接合したところの癒合が完全でないところが再びはずれて折れたものであるが、療養中にこのようにすべつて転んで再骨折したこと自体原告の過失である。そればかりではない。このような時期にそのような程度のことで再骨折するほど治癒がおくれていたのは、要するに患部の固定が不十分であつたことによるのであるが、その原因としては、井元外科医院における施療に不適切な点がなかつたとはいえないにしても、原告の同医院における患者としての療養態度にかなり不まじめなものがあり(〔証拠略〕)、このような療養態度が影響していることも否定できない。また、右大腿骨骨折の治癒の面ばかりでなく、前記5のロの後遺障害のもととなる傷害についても原告のこのような療養態度やその過失による再骨折のため、ある程度症状が増悪し、診療がおくれ、加療期間が長くなり、症状固定による治癒の時期を長びかせたのではないかと考えることができる。要するに原告は、療養態度の悪さとその過失による再骨折によつて治療を長びかせ、損害を増大させたのであつて、「再骨折による入院後の加療やこれによる損害はほかならない原告自身の責任によるものである」との非難をある程度は甘受しなければならないものである。

以上のことが認められる。

なお、原告が症状と治療の長期化によつて易怒性を帯びるに至つていたことは認められるが、前頭葉の変化によつて性格そのものの変化を来たしたものとはいまだ認めがたく、また原告主張の陰嚢の点についても、それは諸般の事情による心因的なものに過ぎず、前記神経症状の強さとその原告に与えた影響の程度を推しはかる材料とはなし得ても、それ自体をとり上げて本件交通事故と相当の因果関係にある損害とすることはできない。

六  以上で検討したところに従い、本件交通事故で身体傷害を受けたことにより原告が蒙つた損害ならびに被告において賠償すべきものの額を算定することにするが、この場合次の諸点を考慮することとする。

1  証拠(略)によるとき、大工である原告は他から木工事の仕事を請負い、自らこれに稼働したり弟子を働かせたりするほか、そのある部分を他の大工に下請けさせたり、賃仕事で雇つた大工を働かせたりして完成させるという事業を営んでいたことが認められるが、これによる収入については、一定期間に挙げ得た請負報酬額と他に支払つた下請報酬および賃金の額との差額を求め、右支払分以外に証種の経費が当然いる筈であるから、右差額に七〇パーセントを乗じたものをもつてその期間における純収入であると認定する。証人日下清信は「木工事請負事業における純利益は総請負額のせいぜい一〇パーセント程度である」と証言しているが、これは請負者自信が大工として働かない場合についての証言であるから採用しない。

右一定期間の始期としてはそれ以後の資料が証拠として出されている昭和四二年七月一日をとり、終期としては、原告は同年一〇月八日に事故にあつているが当時原告が請負つていた明舞団地新聞販売店舗の木工事等の仕事はまがりなりであつたにもせよ同月一五日まで続けられたことが認められる(〔証拠略〕)から、右一〇月一五日をとることとし、他に同月九日から同月一五日までの七日間の原告自身の稼働による得べかりし利益として一日二、五〇〇円(当時の大工の日当として証拠上認められる額)の割合による一七、五〇〇円を収入額に加算することとする。

したがつてまた、休業による利益喪失額も右一〇月一五日の翌日である一〇月一六日から計算することとするが、その外に同月九日から同月一五日までの分として右同様の一七、五〇〇円を加算する。この方法によつて事故当時の原告の純収入額(月額)を求めると次のとおりである。

イ  四二年七月一日から同年一〇月一五日までの間に挙げ得た請負報酬額

被告関係 一、二六七、七五〇円

〔証拠略〕で認められる九月三〇日までの支払額合計一、一三四、五〇〇円に一〇月一五日の支払分三〇〇、〇〇〇円のうち一三三、二五〇円を加えたものである。

〔証拠略〕によれば右一〇月一五日の支払分三〇万円は仕事の量に見合つたものではなく、原告が事故にあつたことを考慮して仕事の量以上の多額を支払つたものであることが認められる。〔証拠略〕によつて認められる明舞団地新聞販売店舗関係の原告の請負額八一五、〇〇〇円から、同証人の証言によつて認められる既払額四八〇、〇〇〇円と、原告がやり残した仕事を八代なる大工にやらせたことにより被告から同人に支払われた報酬額二〇一、七五〇円(〔証拠略〕)とを差引くと一三三、二五〇円になる。

近畿設備その他の関係 四〇七、五〇〇円

〔証拠略〕による。

前記加算額 一七、五〇〇円

合計 一、六九二、七五〇円

ロ  同期間中に他の大工に支払われた下請報酬および賃金の額合計 一、一二〇、五〇〇円

〔証拠略〕による。

ハ  イとロとの差額 五七二、二五〇円

ニ  ハの額の七〇パーセント 四〇〇、五七五円

ホ  純収入月額 一一四、四五〇円

ニの金額を三・五(月)で除した額である。

原告の事故当時の収入については右の限度においてのみ証明がある。

2  前記第五項5のロの後遺障害の症状が固定した昭和四六年五月一五日の翌日以降の入院等については、同症状の内容、程度を知る材料とはなし得ても、これ自体をもつて本件交通事故と相当の因果関係のある損害とは認めない。

3  昭和四四年二月八日に再骨折した以後の分については、ある程度の範囲で原告の責に帰すべき分を控除し、その残りをもつて本件交通事故と相当因果関係の範囲にある損害とする。

4  被告の具体的出捐が明らかな分についてはこれを加算して総損害額を算出し、この総損害額に過失相殺を適用した額から右出捐額を控除する。

5  慰藉料額は叙上したもののほか証拠上認められる一切の事情を考慮して決めているから、この分についてはあらためて過失相殺をすることはしない。弁護士費用の額も本訴認容額を中心にして決めているから同様である。

6  ビル内居宅の賃貸借による賃料等については、不法行為による損害賠償債務を受働債権とする相殺はできないから、その額がいくらであるかは一切認定せず、ただ原告の自認する額を控除するのみである。

7  被告主張第六項の(六)の主張も考慮するに値しない。

そこで次のとおり損害額および賠償額を算定する。

(一)  病院費用として病院に支払つた分

井元外科医院 △一八七、一〇〇円

金沢三宮病院 △四〇、〇〇〇円※

いずれも当事者に争いがない。

(二)  入院加療中の氷代 △二六、〇〇〇円

当事者間に争いがない。

(三)  入院中の附添看護費用

井元外科医院 △二二九、五一〇円

被告主張第六項の(二)1ないし4の合計額であつて当事者間に争いがない。

金沢三宮病院第一回入院分

四四年二月一一日から同年七月一五日までの一五六日間附添看護を要した。(証人荻野高一の証言)

一五一日分とし被告が支払つた額 △一七一、三〇六円※

被告主張第六項の(二)5ないし13の合計額であつて、当事者間に争いがない。

残りの五日分につき 五、〇〇〇円※

原告の妻の附添につき一日一、〇〇〇円の割合による。

金沢三宮病院第二回入院分 △四、三九二円※

被告主張第六項の(二)14の額であつて、当事者間に争いがない。

その余については、附添看護を要したことおよびげんに原告の妻が附添つたことにつき証明が十分でない。

関西青少年サナトリウム

右同様の証明がないので計上しない。

(四)  入院中雑費

井元外科医院四五〇日間 一一二、五〇〇円

井元外科医院(再骨折時)二日間 五〇〇円※

金沢三宮病院(第一回)二八一日間 七〇、二五〇円※

金沢三宮病院(第二回)一一二日間 二八、〇〇〇円※

関西青少年サナトリウム 三〇六日間 七六、五〇〇円※

以上いずれも一日二五〇円の割合による。

(五)  通院交通費 六、〇〇〇円※

金沢三宮病院最後の退院後の通院一二回につき夫妻往復一回五〇〇円(〔証拠略〕)の割合による。

(六)  休業による損害

四二年一〇月九日から同月一五日までの分 一七、五〇〇円

四二年一〇月一六日から四六年五月一五日までの分 四、九二一、三五〇円◎

この四三月間傷害とその症状ならびに治療のため全休業を余儀なくされたと認めらる。前記月額一一四、四五〇円に四三(月)を乗じて得られる額である。

(七)  後遺障害による財産的損害(将来にわたる得べかりし利益の喪失額) 九、三五七、六〇〇円

昭和四六年五月一六日(原告は昭和七年一一月二日生れで、当時三八歳)以後の可働期間二九年

労働能力喪失率 四五パーセント

年収額 前記一一四、四五〇円の一二倍

ライプニツツ系数一五・一四一

右によつて算出される金額である。

以上合計一五、二五三、五〇八円

このうち※印を附したもの(いずれも再骨接後の分)の合計額四〇一、九四八円と、◎印を附したもののうち再骨接をした日の翌日である昭和四四年二月九日以降(二七月と七日(三一分の七月))にかかる分三、一一五、九九四円の五五パーセント(一〇〇パーセントと前記労働能力喪失率四五パーセントとの差)一、七一三、七九七円との和二、一一五、七四五円につき、その二分の一を原告自身の責に帰すべき分として控除する。残余の損害額は金一四、一九五、六三六円である。

右につき三〇パーセントの過失相殺をすると、残余の総賠償額は金九、九三六、九四五円(A)になる。

(八)  慰藉料 二、一〇〇、〇〇〇円

(九)  弁護士費用 六五〇、〇〇〇円

原告が負担しなければならない弁護士費用のうち、本件交通事故と相当因果関係にあるものと認め得る額である。前記した本訴訟での認容額のほか、本訴訟の攻撃防禦の経過等を考慮した。なお、このうち二〇〇、〇〇〇円は原告においてすでに支出ずみである。(〔証拠略〕)。

以上総計 金一二、六八六、九四五円也(B)

(これは、Aと(八)、(九)との合計額である)

右総計額から既払額等を控除する。

控除すべき合計額は金五、六〇八、四四五円(C)である。

内訳

(一)  被告において他に支払つている分 六五八、三〇八円

前記損害(一)ないし(三)のうち△印を附したものの合計であつて、その各個についてはいずれも当事者間に争いがない。

(二)  被告から原告に支払ずみの分 三、八〇五、一三七円

当事者間に争いがない。

(三)  その他 一、一四五、〇〇〇円

原告がその主張第五項の(二)で控除を自認する額である。

右控除の結果(BとCとの差額)は

金七、〇七八、五〇〇円である。

七  以上のとおりであるから、被告は原告に対し、本件交通事故による損害賠償として、金七、〇七八、五〇〇円、ならびに、その遅延賠償金として、損害発生の日よりのちである原告主張の日(昭和四六年八月一〇日。ただし、第五項の(九)の弁護士費用額中四五〇、〇〇〇円については本判決言渡の日の翌日である昭和五〇年三月一一日)から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による金員を支払う義務がある。

原告の本訴請求はこの限度で正当であるから、その範囲でこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九二条本文、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用したうえ、主文のとおり判決する。

(裁判官 岡本健)

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